手を繋いで、君と歩こう

　まだまだ続く。

　　君との未来のために。

　光秀様のご機嫌を損ねた人は、幸いにして殺されはしなかった。ただ、村を出て行くということでとても渋ってきた独り身の男に、
「気安く妻に触るのはやめてもらえませんかね、私がいくら何も言わなくても気にはなりますから」
にやりと笑った顔ではあったが、その瞳は冷え切っていた。あれは光秀様がよく戦場で見せるお顔だと思った。なんだか懐かしい緊張感でもある。やんわりとその手を解いた光秀様は、さっさとその報告を済ませて荷物を背負い込んでしまった。

「光秀様」
「なんですか？ご飯にするのはもう少し後にしましょうね、さっき食べたばかりですから」
「そうじゃなくて！」
「？」
「ここどこら辺か御存知なのですか、このような山道であるというのに道がわかっておられるのかと……」
「勿論わかってますよ、ここは信長公のもとにいたときに使者として何度も行き来した道。この道さえ嫌気がさしている位ですよ、ちなみにここは既に近江を出て美濃に入っていますよ、安土が恋しいですか？」
　
　安土が恋しいということなど別段あるはずも無い。目に見える敵兵は全て殺せ、そう命じられて疲弊していたときを思い出せば今の生活がとても充実してしかも楽しいのだと思える。光秀様が娶ってくださるとは思ってもいなかったが、あの方の護衛についてから、私は実にのびのびと生活できたし、幸せだと感じられる。感謝しても仕切れないくらいだった。
　未だに恥ずかしいのはやはり夫婦だという感覚が私に薄いことだった。急にこの事実を思い出して勝手に赤面しているのだが、光秀様はそういった私の反応をも楽しんでいらっしゃる。
「いいですね、新妻といいながらかなり初々しい。しかし、こちらにも我慢の限界というものがあります」
こういうことを普通にご飯の席で言われるからドキッとするのだ（これは最近毎日のような気がする）。これもお勤めだと思っていたのですが、光秀様はそういった覚悟は気に入らないらしく、
「これは義務ではないんですよ、私が地位を捨てた瞬間から世継ぎは必須ではない。貴女も分かるでしょう。そうしたいがためだけに貴女を引き寄せたのではありませんよ、分かってくださいね」

　光秀様はそんなくだらないことで冗談を仰る方ではないと知っていたから、そのお言葉は嬉しかった（いや、だからといってあの発言がすべて正当かと言われればちょっと……）。何もしていなければ見目はとても整ったお方なのでこちらが照れるほどだ。惚気はいい。
　つまり、近くにいたから適当に私を連れてきたわけではないし、本当に好いてくださったのだと今思っても遅くない、と思う。


　うすぼんやりと、もしかしたら光秀様は奥州に向かっているのではないかと私は思う。伊達政宗公が治める土地になってかの地は本当に豊かになった。私が生まれた頃とはだいぶ違う。私もお会いした事はあるが、今光秀様が会うには、少々危険があるきがするのだ。政宗公は秀吉に一度敗れ、その土地を譲らない代わりに共同戦線をとらされることがある。今光秀様が自分の領地にいると分かれば、捕縛の後、処刑という事も考えられてしまう。
「光秀様、これからどこか行くあてはあるのでしょうか」
「いいえ、でも、ご飯がおいしいところがいいですよね」
貴女はなかなか料理が上手だから、材料がよければもっといいでしょう、そういって微笑んでくださるのはいいのだが、不安で仕方がない。
「奥州で、私が捕われるとでも思っているのですか？顔色も悪いし、暗いです、私の隣にいるときは、そんな顔をしないで下さいよ」
「光秀様……」
「情けない顔をしないこと。ああ、泣いては困りますよ、伊達政宗公には貸しがありますからね、何かあってもまず大丈夫でしょうねえ。何せ、私があの猿を返り討ちにしてやればいいんですから。最近腕は落ちているかもしれませんがね、最後の仕事としてあれを斃してもいいと思っているのですよ、信長公の跡継ぎと名を語ってあれは勝手にいろいろ進めていますからね。諸侯の力を借りて潰すのも一つの手です、追手が来ていない、今のうちにね。何故追手がきていないか。竹中半兵衛が機能していないからです、死期が近い彼がいなければ、ただの猿の集まりですから。」
するりと私の顔を撫でて、光秀様は言う。私たちが開放されるのは時間の問題で、それほど重たく考える必要はないのだと。掠めるように口付けて
「元気を出してくださいね、なんなら奥州についてまず、彼の城に出向いてもいい。先に不安の種を消しましょう」
ぎゅううと握り締めた光秀様の手は、しっかりとこちらの手を握り返してほんのりと暖かかった。軽く肩を抱きこんで光秀様は今日の宿は何処にしましょうか、と穏やかに私に尋ねた。